映画レビュー

映画レビュー「希望の灯り」青年は、夜の巨大スーパーマーケットで希望の灯りを見つけた *ネタバレ含む

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あらすじ

無口な青年クリスティアンは、旧東ドイツライプツィヒ近郊にある巨大スーパーマーケットで在庫管理係として働くことになる。飲料セクションの責任者である中年男性ブルーノの指導の下、ブルーノの東ドイツ時代からの仕事仲間でもある同僚たちに囲まれ、真面目に働くクリスティアンはフォークリフトの運転資格を取るまでになり、職場にも自然になじんでいく。ブルーノとクリスティアンは父と息子のような関係となる。

一方、クリスティアンはスイーツセクションで働く年上の既婚女性マリオンに一目惚れする。

はじめに

静寂に包まれた巨大なスーパーマーケット。フォークリフトの青いライトが、果てしなく続く通路を幻想的に照らし出す。そこは、多くの人々が日常の糧を求める場所でありながら、社会の片隅で息を潜める者たちのための、一つの閉じた「世界」でもある。トーマス・シュトゥーバー監督によるドイツ映画『希望の灯り』(原題: In den Gängen)は、そんな世界を舞台に、一人の青年の魂の再生を、静かに、そして深く描き出した物語だ。

鏡として生きてきた青年、クリスティアン

主人公のクリスティアンは、無口で、どこか影のある青年だ。物語の冒頭、彼は多くを語らない。だが、彼が「鏡のような存在」であることは、その後の彼の行動から明らかになっていく。過去の職場で「この”用無し”」という言葉の刃を向けられた時、彼は怒りという暴力でそれを跳ね返してしまった。一方で、飲料セクションの責任者ブルーノが向ける父のような温かさには、子どものような素直さで応え、その導きに身を委ねる

彼の心根は歪んではいない。ただ、あまりにも純粋(ピュア)で、フィルターを持たない。向けられた光をそのまま反射するように、周囲の色に染まりながら、彼はかろうじて自分の輪郭を保っている。そんな彼にとって、この巨大なスーパーマーケットは、新たな自分に生まれ変わるための、運命的な場所となる。フォークリフトという社会で役立つための「技術」と、そして何より、彼の「ピュアさ」を受け入れてくれる人々との出会いが、そこで待っていたのだ。

「受け取る」ことを教えた父、ブルーノ

クリスティアンの再生を語る上で、二人の人物の存在は欠かせない。一人は、ブルーノだ。東ドイツ時代への郷愁を抱え、孤独を隠しながら生きる彼は、クリスティアンにフォークリフトの運転から仕事の哲学まで、多くを教える。彼はクリスティアンにとって、温かさや導きを「受け取る」ことを教えてくれた父性的な存在だった。彼の悲しい結末は物語に深い影を落とすが、彼がクリスティアンに与えた温もりは、間違いなく再生の礎となった。

「与える」ことを教えた女性、マリオン

そしてもう一人、スイーツセクションで働くマリオン。夫からのDVに苦しみ、儚げな微笑みの下に痛みを隠す彼女は、クリスティアンの運命を大きく変える。ブルーノが「受け取る」ことを教えた師であるならば、マリオンはクリスティアンに、初めて「与える」という役割と喜びを教えた存在と言えるだろう。

助けを必要とする彼女の存在は、受け身の「鏡」でしかなかったクリスティアンを、自ら光を放とうとする主体的な人間へと変えていく。彼女の家にそっと花束を置くという、言葉のない優しい行動。それは、誰かのために何かをしたいという、彼の自己表現の芽生えだった。

「僕は”用無し”ではない」

この物語のクライマックスは、クリスティアンがマリオンに過去の過ちを打ち明ける場面に集約される。かつて自分を傷つけた「この”用無し”」という言葉を自ら口にし、そして震える声でそれを否定する。「僕は”用無し”ではない」。

その言葉を、マリオンはただ静かに抱きしめる。この瞬間、クリスティアンの中で、確かな自己肯定感が生まれたのだ。他者から与えられる評価ではなく、自らの言葉で自分の価値を肯定し、そしてそれを最も大切な人に受け入れられる。この経験こそが、彼を本当の意味で大人にした。

物語のラスト、ブルーノの跡を継いで責任者となり、フォークリフトを操るクリスティアンの表情は、以前とは全く違う。そこにあるのは、自信と、ささやかな誇り。スーパーマーケットという広大な海で、自分の居場所を見つけ、泳ぎ方を覚えた男の顔だ。彼自身が、ささやかだけれども確かな「希望の灯り」を、その心に灯した瞬間だった。

静かで心に沁みる良い作品でした。是非ご覧になって下さい。